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色んな文章の倉庫です。

懺悔

 物心もつかないうちから、私には虚言癖がありました。
 嘘をつく相手は母です。私は家に帰るなり、友達に虐められたと話して泣きました。その友達は嫌な奴で有名でしたし、事実その後にいざこざがあった記憶もありますが、当時虐められたという事実はありませんでした。
 しかし母は私の言葉を信じ、その友達に対する怒りを露わにしました。そして私を慰めてくれました。同様に、実家に遊びに来ていた祖母も一緒になって怒り、慰めて くれました。

 罪悪感などありませんでした。私はその時本当に悲しかったし、演技ではなく泣き喚いていたのですから。嘘を重ねるうちにそれが現実のように思えたのか、慰めを求めて嘘を付いたのか、今となっては分かりません。いや、その両方なのでしょう。
 その時母と祖母は確かに私を見ていました。私だけを見ていました。私によって心を動かされ、奥底から優しく、そして暖かく接してくれました。それはそれは心地の良い時間でした。そうする内に、嘘は私の中で事実となったのです。咎める者も特にいませんでした。誰も虚言に気が付かなかったのです。

 

 友達に嘘を付いたこともあります。しかし母に仕掛ける罠とは少し違います。友達への嘘は、主に自分を誇示するために使用されました。

 

 例えばゲームでの出来事。自分が持つおもちゃの事。私は虚言癖を持ちながら、同時に極度の腰抜けでした。また、浅く速く回る頭を持っていました。ですから、幼稚園に直接関係のない母には大胆に作り話を披露したにも関わらず、友達に対してはバレても差し支えのない嘘しか用意することが出来ませんでした。しかし、注目を集めるにはそれで十分でした。そしてまた、その嘘も自分の中でだけ、事実と変貌していきました。

 

 年を重ねるごとに、この虚言癖はなくなりました。嘘は長くは続かないし、リスクも高いことを悟ったのかもしれません。少ないにしろ罪悪感を覚え始めたことも理由の一つでしょう。

 

 代わりに私は私を色々な所で誇張し始めました。今思い返せば、私はとにかく認められたい、褒められたいという欲求が人一倍強かったのでしょう。

 

 成績が良ければ自慢に聞こえない程度に記録だけを伝達しました。運動など、苦手で上手くできないことには触れさせません。また、私は小説が好きでした。これも小学生が大人たちから賞賛を得るには都合のいい趣味でした。ついでに漫画を読まないことも併せて周りに伝えます。少しでも他人より上手くできると思ったものは。オブラートに雑に包みどんどん自慢しました。
 今思い返してみれば裏で疎まれていたのかもしれませんが、そんなの関係ありません。上辺だけの羨望も、私にとっては貴重な酸素だったのですから。

 

 偉いや凄いではなく、大人だとか賢いだとか、そういった言葉が私にとっての最上の誉め言葉になった頃、私は母の変化に気が付きました。ある日、気が付けば母は鬱陶しいような目つきで私を見ていたのです。

 

 その頃の私は少し欲張りすぎていました。テリトリーを広げ過ぎたのです。しかしそれも仕方がありません。大人から捧げられる「大人だね」という烙印は当時の私にとって、紛れもない極上の品だったのですから。そして私の周囲にいる大人は父と母、二人だけ。もっと欲しがってしまうのは必然です。だって私はまだ子供だったのですから。

 

 そういった理由から、私は不意に始まる母の井戸端会議にも進んで参加し自身を誇示しました。私は知らず知らずのうちに母の領域まで犯してしまったのです。
 そんな様子の私を見て、母は私の醜い魂胆に気が付き始めたのでしょう。そして私に憎悪を見せた。それも当然です。むしろ母は踏みとどまった方だとすら思います。自分が腹を痛めて生んだ子が、こんな狡さと卑しさの塊であると知ったのなら、私であれば正気でいられる自信がありません。

 

 母のやっかみの籠ったその瞳を通して、私は等身大の自分を触りました。初めて鏡を見せられたと言っても過言ではないでしょう。それは長い間見ないようにしてきた自身の醜悪な部分でした。あぁ、そうか自分はこんなにも酷く歪み切った人間だったのか。
 私はひたすらに動揺しました。私自身、取り繕って着飾った私のことしか今まで知らなかったのですから。そして思いました。こんなにも汚らしい人格を他者に悟られてしまったら、私はもう褒めてもらえない。褒めてもらえない。それは私にとって息が出来なくなることと同義でした。何より母に完全に軽蔑され、背を向けられてしまうこと。これが最大の恐怖でした。

 

 思うに、両親への執着は人が皆最初にかけられる呪いです。先程も言ったように、私はとにかく認められたい、褒められたいという欲求が人一倍強かった。それも母だけでは補えない程に。その母さえ失ってしまったら私はもうお終いです。かと言ってこの欲求はもう収まらない、抑えようがないものだということは、本能が叫んで知らせていました。
 私は今まで通りに過ごすことを決めました。見ないふり、知らないふりは十八番だったではありませんか。見栄えの良くない花は並べなければいいのです。奥にしまい込んで、誰にも見せなければいいのです。簡単なことのようにも思えました。
 しかし案外己が脆いことを、まだ私は分かっていなかった。

 

 あの時から、私は私のことが嫌いでした。ずっとずっと嫌いでした。

 

 ひた隠しにしてきた都合の悪い己は認識したが最後、もうどうしようもないほど肥大化し、それ自身が叫び続けています。「私は凄い人間なのだ。褒め称えられるべきなのだ。」
 
 幼稚園は行きたくありませんでした。小学校に行く時も泣いていました。寂しかったのです。家以外では、私は私が分からないから。ずっと私を祭り上げていてほしかったのです。唯一無二の存在だと。どこか特別で、聡い子であると。世界中の人に私だけを見ていてほしかった。
 結局悪戯に称号を誇示することでしか、そんな恥を晒すような方法でしか私は私の居る場所を守ることが出来なかったのです。

 

 身体だけが大きくなり見える景色が変わっていくにつれ、もう小さい頃とは勝手が違うのだと私は唐突に自覚しました。いい子でいても褒めてはくれないのです。成績が良いだけで崇められることもなければ、頭を撫でてくれる人さえもういないのです。
 しかし根本的に、私は何も変わっていません。少し長く水中で息を止めることが出来るようになっただけで、酸素が必要なことに変わりはない。今でもずっと私は他人の憧れになること、私という存在、それ自体が褒め称えられることに飢えているのです。
 「私は素晴らしい子供だった。何処か他の子とは違った子供だった。」
 そんな風に小さな頃もらった薄っぺらい勲章にずっとしがみついているだけの、何もかもが剥がされたちっぽけで醜い、今にも死にそうなミノムシが紛れもない私なのです。

 先日不意に赤ん坊の頃の写真を見たとき、私は思わず泣いてしまいました。
 そこに映る両親はあまりにも幸せそうだった。その当時のまま時間が止まれば、私はきっとずっと幸せだったのでしょう。
 赤ん坊の頃の私は、私が己に泥を塗りたくってまで欲した無条件の愛を、一身に受けていたのです。ベビーベッドに横たわり、少し微笑むだけで、皆に幸せを与える存在だったのです。

 

 自身を騙すことにはやはり限度がありました。何度も何度も私は私を殺してやりたいと思いました。
 偽りと共に生まれた私は、何年この世に留まっても欺くことしか出来なかった。しようとしなかった。その事実に悲しむことさえ、もう疲れてしまった。この生き癖はカビのように染みつき蔓延って、もう更生の余地はありません。何から何まで間違いだった。


 死にたがりは生の代償です。生まれたこと自体が罪だったのです。

 

 それ故に今ではもうずっと、ただただ申し訳がない。生まれたことに対しての謝罪が止まない。私は生まれてからずっと私を含め全員を欺いていたのですから。

 

 同情を買ってごめんなさい。賞賛を搾取してごめんなさい。甘い蜜だけを吸ってごめんなさい。こんな私でごめんなさい。騙してごめんなさい。そしてこれからも騙し続けてしまうことを許してください。もうそれしか生き方が分からないのです。ごめんなさい。ごめんなさい。

 

 こんな私にはもう何も望めない、望んではいけないのです。ましてや他人に何かしてもらおうなど言語道断です。
 私は戦わなければなりません。そして慣れなければいけません。どうしようもなく劣悪な欲求と、この息が詰まるような生に。
 内で暴れる獣を水中に沈め、なおも襲ってくるであろう激情に流されぬよう、促されぬよう。目の前にある宝石に目を瞑りただ耐えて耐えて耐えて。
 
 それでもやはり何者にも成れない私が惨めで可哀想で、そんな自分を慰めに現れる私の醜さに、私はまた目を逸らすのです。