「分かってもらえている」という感覚はいつだって人の救いになると思う。
同時に「想ってもらえている」という感覚も。
他者を理解するのは簡単なことじゃない。
なぜなら私達は全員、自分から見た世界しか味わうことが出来ないからだ。
そもそも忙しさを理由に、私達は自分の気持ちだって理解していないことが多い。
本当は悲しいだけなのに、隠すみたいに罵声を浴びせてみてみたり、寂しいだけなのに誰かの上に立とうとしたり。
行動できてしまう私達にとってむきだしの想いを自覚することは面倒だし、億劫だし、何より弱点をつかれるようで怖い。
ただ、自分の気持ちすら理解できない人に、他者の気持ちが理解できるはずもない。
ここが他者を理解するための第一関門だ。
そして本当に他者を理解したいのなら、自覚した自分自身の気持ちをひとつ残らず切り離す必要がある。
他者の世界を見ようとする時に、自分の世界は邪魔になるから。
これがきっと第二関門。一番難しくて一番重要なことだと私は思う。
それが出来たら、出来たと思えたのなら、次の段階。
嬉しいだとか悲しいだとか感情の種類はもちろん、そこに至るまでに相手がどういう経験をしたのか、何を感じたのか、そこにはどんな記憶が混ざっていたのか。
その湿度は、色は、匂いはどうなのか。彼、彼女はその先に何を願っているのか。
その全部を考える。確かめる。想像する。感じる。感じる。
それができたと思えて、初めて相手の気持ちを、他者を、ほんの少しだけ理解することが出来たと言えるんだと思う。
それでもずいぶん、曖昧ではあるけれど。
しかし方法が何となく分かったところで、言わずもがなこれだけのことをするにはそれはもう物凄いエネルギーが要る。
そして行動面でも心理面でも何かと忙しい人間に、そんな時間は、容量は与えられていない。
だからきっと、現実的に他者を理解するなんてこと、人間には不可能なのだ。
…ゼロの状態で、相手の気持ちが流れてくる天使でもない限りは。
そんな天使に対して何かを与えることができたのは、彼自身が長く時間をかけて第一関門を突破していたから、あるいは嘘を吐くような器用さが無かったからだと思っている。
もし彼が日常的に嘘を吐いて人間と混ざっていたのなら、天使の言葉もそこまで彼の胸に沁み込むことは無かっただろう。
共鳴しても負担じゃない。ズルさ、よこしまさみたいな、人間特有のアクがない人。
嘘を言えないその素直さが、他者の言葉をきちんと受け取ることを可能にしたのだ。
結果、彼は天使に分かってもらえた。与えられた。
しかし彼は人間だから、天使の感情が流れてくることはない。
せいぜい彼が分かるのは羽の状態だけ、マルかバツか、ただそれだけだ。
相手を大切にする方法はたくさんあるけれど、誰も正解を教えてはくれない。そもそもそんなもの、無いのかも。
だから彼は考える。
大事なことは後に伝えるべきなのか、先に伝えるべきなのか。
笑ってもらうためにどんなことをすればいいのか。自分という存在が彼にとってどうなのか。
迷って、考えて。迷って、考えて。
正解の分からない彼には、考え続けることしかできない。
けれどその思考した時間や気持ちを愛と呼ばずに何と呼ぶのか、まだ私は知らない。
愛。想ってもらえている感覚を天使はそのまま享受して、羽を育てたのだ。
そもそも「もっと笑って欲しい!」だなんて、そんな分かりやすい愛に名前を付ける必要もない。
ずっと二人に嘘はなかった。
だからこそ天使は天使に成り得たし、二人は出会わせてもらえたのだろう。
思うに、生きる上では誰かが隣にいた方が、十分に暮らせる。
もちろん一人でも生活はできるけれど、食べなかったり、眠らなかったりしてもとがめる者はいない。悪い夢にうなされたことだって、自分しか知り得ない。
食べたり眠らなかったりしても多少は生きていけるけど、やっぱり不健康だし、きっと寂しい。
きっと存在意義を成すためには、与えるだけでも、与えられるだけでもいけないんだろう。
けれど一人で向き合って、じっと耐えた人でないと、本当の意味で誰かを愛することは難しい。第一関門。
だから仕方なく私達は対象を分けて、存在意義を作ってみたりする。
S君に与えて、けれどS君は同じものを返してくれないから、それを補うようにCちゃんから与えられて。
CちゃんはF君から。F君はNちゃんから。
人間は何となくそれで廻っているし、悪いことじゃない。
けれどその相手が互いだったのなら、きっとそれはとても幸せなことなんだろうなあ。
アカウントを覗き見て、天使が天使になる前に幸せになれなかったのかなとも少し考えた。
けれど、それはそれで余計なことだと思う。なんというか、失礼な思考だ。
本当の救いを、愛を知っているこの二人が今も空で楽しく暮らしているのなら、きっとそれが幸せの形なんだろう。
愛して、慈しんで。
いつか誰かとそうできたらいいと、ズルい私は飛べないままに願うばかりだ。