ある赤い屋根の家に、女の子が住んでいました。
お母さんとお父さん、そして妹と、家族三人でそれなりに仲良く暮らしていました。
「お姉ちゃん、そのぬいぐるみ、私に頂戴」
ある日、妹が女の子の持っているぬいぐるみを欲しがりました。
女の子はそれを妹に譲ります。
本当はお母さんが誕生日に作ってくれた大切なものだったのですが、ぬいぐるみを持っていない妹が可哀想に思えたからです。
中学生になった女の子には、好きな男の子がいました。
学校帰り、サッカーで汗を流す男の子をそっと盗み見るのが、女の子にとっての楽しみでした。
「私、あの人が好きなのよ。」
ある日、友達から恋愛相談を受けました。
友達が好意を向けていたのは、女の子が好きな男の子でした。
女の子は黙って好きな男の子を友達に譲ります。
男の子のことは本当に好きだったけれど、友達だってそれは同じだと思ったからです。
女の子には、夢がありました。絵描きになることです。
そのための学校へ行くことも考えていました。
ある日女の子は思い切ってその想いをお父さんとお母さんに伝えます。
すると、二人は刺々しい言葉でたくさんの数字を口にしました。女の子の家はそれほど裕福ではなかったのです。
「どこへ行こうと、お前は絵描きになんかなれないよ」
最後に、お父さんはそう言いました。
女の子は夢を諦めました。
子供では決められない事情があることを知り、両親に苦労をかけてはいけないと思ったからです。
その日の夜、女の子は部屋でたったひとり、泣きました。
今まで大事にしてきたもののすべてを無くしてしまったような気持ちになったのです。
誰が悪いというわけではありません。
にも関わらず、誰かを恨みたくて仕方なくなりました。
それがただ、どうしようもなく哀しかったのです。
次の日、学校から帰ると、妹がお母さんにすがって泣いていました。小学校で嫌なことがあったようです。
「先生は学校で泣く子ばかり贔屓するのよ。こうして我慢して、誰にも見せずに家で泣く可哀想な子もいるのに。」
お母さんはそう言って妹を抱きしめました。
「じゃあ、私は?昨日の涙は、誰に抱きしめて貰えばいいの?お母さん、私だって、泣いているんだよ。」
女の子はその一言を飲み込みました。
妹の頭を撫でる母の手がとても羨ましかったけれど、仕方ないんだと無理矢理自分に言い聞かせます。
(私はきっと、我慢しなくちゃいけないんだ)
これから先も、ずっと。
女の子は大きくなり、男の人と結婚しました。
その男の人は女の子の一番好きな人ではありませんでした。
それでもその人は優しかったし、一緒にいると幸せな気持ちになれました。
やがて二人の間に子供が産まれました。
可愛い男の子です。
その子を胸に抱き、女の子は決意します。
「この子には好きなことをさせてあげよう」
その子はどんどん大きくなりました。
サッカー、水泳、野球、そしてピアノ。
女の子は、その子がやりたいと言ったことはなんでもさせてあげました。
その子が悪い事をすれば、きちんと叱ります。
けれど、女の子はその後決まってその子をだきしめました。
我慢する事のないように。
悲しい想いをしないように。
だから、その子が歌の学校へ行きたいと言ったときも、女の子は迷わず頷きました。
問題がなかったわけではないのですが、そこを我慢してこその母親だと女の子は思ったのです。
やがてその子は音楽大学へ通いはじめました。
最初のうち、その子は生き生きとその大学に足を運んでいました。
女の子はそれを見て、そっと安心していました。
しかし、次第にその子の様子が変わっていきました。
だんだんと元気がなくなり、塞ぎ込みようになったのです。
心配した女の子が声をかけても、返ってくるのは疲れた笑顔だけでした。
とうとうその子は自分の部屋に鍵をかけ、扉の向こうから出てこなくなりました。
女の子は今日も食事を運びます。
「何がいけなかったのだろう。どこから、間違っていたのだろう。」
その子が可哀想で、自分が悔しくて、ぽろぽろと女の子は泣きました。
女の子には何もわかりません。
そしてこれからも、わからないように思えました。
ただただ、あのひとりで泣いた夜が強く思い返されるばかりでした。
扉の向こうからは、女の子と同じ苦しげな泣き声がかすかに、そして延々と聞こえ続けていました。