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色んな文章の倉庫です。

魔法使いの失敗

 様々な色の緑に彩られた森の奥、木で出来た小さな家に、ある魔法使いが住んでいました。
 魔法使いの腕は確かでした。飛行術はもちろん、どんな薬の調合もお手の物。変身魔法や瞬間移動だってちょちょいのちょい。魔法使いに出来ないことはありませんでした。

 そんな魔法使いは、ある商人に恋をしていました。

 何でも出来てしまうのですから、生活には困りません。しかし、森の奥で一人、ひっそりと暮らしていくことに魔法使いは飽き飽きしていました。そんな時、姿を現したのがその商人でした。

 星屑でできた上等な宝石、ユニコーンの角に、龍の牙が使われたハサミ。商人は魔法使いに、たくさんの商品を売り込みました。魔法使いは特に物を欲していたわけではありませんでした。何でも出来るのです。商人が持ってきた商品だって、作り出すことくらい簡単でした。

 しかし、魔法使いは商人が会いに来てくれることが嬉しくて、毎回商品を買っていました。あわよくばもっとお話がしたいと、いつしか魔法使いはそう思うようになったのです。魔法使いは退屈していた、もしくは寂しかったのかもしれません。

 そこで魔法使いは考えました。妖精の粉がいっぱいに詰まった植木鉢を用意して、朝日の欠片と新鮮なキイチゴの果肉を、商人から買った、月の石が使われたスコップで埋めました。そして呪文を唱えながら、丁寧にろ過した海の水を回しかけます。最後に自分の心を一部、取り出して植木鉢に捧げました。
 するとどうでしょう。あっという間に植木鉢から芽が生えて、すくすくと育っていきます。立派な深緑の葉が生えて、上品な赤色の蕾が覗きます。受け取ってばかりでは伝わらないからと、魔法使いは商人に世界一綺麗な薔薇の花をプレゼントすることにしたのです。

 しかし、その時、異変が起きました。立派に伸びた茎に、突如として棘が生えたのです。魔法使いは顔をしかめました。商人を傷つけないよう、棘は取り払ったつもりだったのです。さらに異変は続きます。薔薇は魔法使いが望んだとおり、一瞬でその美しい花を咲かせました。深紅の花弁がつややかに揺れます。しかし。

「こんにちは」

 薔薇は、大きな花びらを揺らしてそう言いました。魔法使いはますます顔をしかめます。魔法使いの呪文によって出来たのは、世界一綺麗な喋る薔薇だったのです。

 失敗だ。

 そう思った魔法使いは、すぐに魔術書に目を落としました。この薔薇をどう処分するべきか、考えようと思ったのです。しかし、生まれたばかりの一輪の薔薇は、魔法使いがなぜ不服そうなのか分かりません。

「ねぇ、抱きしめてよ。寂しいわ」

 不安な薔薇は、一言、そう言いました。魔法使いは大きくため息を吐いて薔薇を見ました。普通の薔薇はそんな事を言いません。けれど、魔法使いの薔薇は違いました。そして魔術書を読んだ結果、魔法使いはこの薔薇が延々と咲き続けてしまうことに気が付いたのです。商人の目を楽しませるようと唱えた、枯れることのない薔薇を作り出す呪文は、よりにもよって成功していたのです。

「痛いから嫌」

 魔法使いは薔薇を一蹴します。煩わしい気持ちはありましたが、棘があることと喋ることを除けば、美しく枯れることの無い、魔法使いの理想的な薔薇なのです。魔法使いは仕方なく、薔薇を育ててみようと思いました。
 しかし。

「薔薇には棘があるなんてこと世の中の常識なのに。そんなことも分からないで私を作ったの?」

 これも魔法使いの失敗でしょうか。薔薇はやけに魔法使いに対して反抗的でした。魔法使いはあまり自分以外のものと関わった経験はありませんでした。だからこそ、魔法使いは薔薇の扱い方が分かりませんでした。
 結局、魔法使いは薔薇を無視することに決めました。薔薇の命の源である水だけは欠かさずに与えますが、それだけです。話を聞こうとする気すらありません。魔法使いの薔薇に対する慈しみは、薔薇が喋った途端に失われてしまいました。

「何で無視するの?私が何か悪いことをしたの?」
「寂しいわ。棘だって、あなたが与えたものじゃない」

 一方、朝起きてから、夜眠るまで、薔薇は魔法使いに語り続けました。
 薔薇はただ、不安だったのです。魔法使いと違い、薔薇は一人では何も出来ません。植木鉢から動けないのです。もちろん自分の言葉が魔法使いを逆なでしているなんてこと、薔薇は夢にも思っていませんでした。
 薔薇はなぜ自分が植木鉢に飾られているのか、その理由が知りたかっただけでした。自分が生まれたことに対する確証が欲しかったのです。

「私が喋るなんて想定外だったの? そんなこと知らなかったの?」

 しかし、これにだんだんと苛々してきたのは魔法使いです。
 これが普通の魔法の失敗であれば、魔法使いは問答無用で薔薇を捨てていたでことしょう。商人へ贈るため、別の薔薇を作ろうとしたに違いありません。けれど、この薔薇に限っては違いました。
 なぜなら、魔法使いは薔薇に自身の一部を捧げていたのです。他のものと違って、魔法使いの心は有限です。そうやすやすと使い捨てることは出来ないのです。だからこそ、魔法使いは訝っていました。自分の大切な一部を捧げたにも関わらず、薔薇は何一つ思い通りになってくれないのです。これでは商人に満足してもらうことも出来ません。

「私はあなたに心の一部も裂いたのに」

 とうとう、魔法使いは薔薇にそう漏らしました。それは薔薇と会って初めて口にした、心からの本音でした。
 そんな魔法使いに対し、きょとんとしたまま、薔薇は口を開きます。

「なんで、可哀想なのがあなたなの?」

 薔薇と魔法使いが分かり合うことは、ついに出来ませんでした。
 魔法使いはとうとう杖を振いました。目にも留まらぬ速さで光が飛んでいき、植木鉢にヒビが入ります。続けざまに魔法使いは薔薇を植木鉢から引っこ抜きます。棘が手に刺さって血が流れますが、そんなことを気にする余裕は魔法使いにありませんでした。がしゃん、と音を立てて植木鉢が机の上から落ちました。妖精の粉を纏ったまま、薔薇は黙ってむき出しになった根っこを揺らしています。

 丁度その時。魔法使いの家を誰かが訪ねてきました。慌ててドアを開けると、そこには商人が立っているではありませんか。どうやらいつものように、魔法使いに物を売りに来たようです。
 魔法使いは少し躊躇いましたが、商人を待たせて家の中へ戻りました。それから横たわっていた薔薇の根をちょん切って、商人に薔薇を差し出しました。本来、薔薇はこうなる予定だったのです。
 果たして商人は驚いたような顔をして、それから少し笑いました。

「綺麗だね。棘を取ってくれる?」

 魔法使いは頷いて、持っていたハサミで一つずつ、薔薇の棘を切り落としました。
 ぱちん、ぱちんと音がする度に、魔法使いは妙な胸騒ぎを覚えました。しかし、頭のいい魔法使いは、それでもついにその胸騒ぎの答えには辿り着けませんでした。そこで動かされるべき感情は、薔薇の為に捧げたものの一部でした。

「これで綺麗だね」

 全ての棘が取り除かれた薔薇を見て、商人は優しく笑いました。
 
 その後、一輪の、美しい妖精の粉を纏った、世界一綺麗な薔薇は、商人によって沼の中に捨てられました。一人で暮らす魔法使いのことを、枯れない薔薇を作ることが出来る魔法使いのことを、商人はずっと不気味に思っていたのです。
 夜、月も届かないよどんだ沼の中に、一輪の薔薇が沈みます。
 枯れない、永久の命を持った薔薇。しかしその薔薇が口を開くことは、もう二度とありませんでした。